なみださりんご diary

35歳364日までに気づくこと

なんだか分からない症状の正体は心因性非てんかん発作

・胸が苦しい
・体のけいれんが止まらない
・息ができない
・硬直する
・自由に体を動かせなくなる
・発狂する


発症
2020年5月26日
風呂入り立ちくらみして意識失って顔から風呂の縁に思いっきり突っ込んで左半身全部痛い😭😭
気づいたら水の中だった。
病院行ったら発作が始まった。

入院開始!!

天下の虎ノ門病院に入退院を繰り返したけど理由がわからない。
脳波をとっても異常はない。
パルスオキシオメーターは正常値

身体はトランポリンに乗っているかのようにベットの上にで動く。

息も苦しくて体が硬直する。
震えと貧乏ゆすりがとまらない。


わたしは脳腫瘍の手術をしたので脳神経外科で入院をしてたのですが、わたしの発作を見た主治医が(たぶん、脳外科では治療できないと察知したのか)わたしをゴミを見るような目で見た。
そして、脳外科ではなく脳神経内科に🧠科移動。
神経内科にきても状況はかわらない。
てんかんではないけどてんかん薬を三ヶ月分もらい続けたがが状況はかわらない。


虎ノ門病院では原因はわからないので別の神経内科を先生がてきとうに携帯で選んだ病院を勧められた。

そこの病院は院長先生がくせがとにかくつよくて
病院事態が桐谷さん(株主優待でおなじみ)のおうちみたいに汚い。

しかし、先生は原因は薬による副作用と判断する。
当日うつ病のような症状があったので、先生が危険だと思ったら患者には電話往診をしてくれた。
とても、ありがたかった。
潰れてしまいそうだった。
死に対して無頓着なので事故などのニュースを見たときにお亡くなりになった刀にはご冥福をお祈りすると同時になぜ私じゃないのか…といまでも思っている。


力になってくれた先生も若干のセクハラまがいのことを言い出したり、あなたはとくべつだからと営業時間外に心療内科してくれたりして…それはありがたかったけど、私の話を聞いてくれなくなった。
1時間あったら50分は先生の雑談ですなにも進まない。

嫌気がさしたので行くのはやめた。


8月
落ち着いたので会社にも復帰した(ぜんぜん落ち着いてない)
会社に行く事がわたしにとっては義務化されていたので地下鉄を歩いてるだけで立ちくらみ…休憩をしながらじゃないと乗り換えができない状態で仕事をしていました。

私の仕事は福利厚生施設のお店。
でレジ締めをしている時に立っていられない状態だった。
椅子とお友だちになっていた。

仕事のストレスも凄かった。
8月時短勤務だったにも関わらず、会社の今後の未来や自分の目標をかかなければならないとなったとき、8月は自担していたにも関わらず、ふつうに出社していたとみなされた。
また、10月から三ヶ月別部署に行くことになり、ますます目標にたいしてできなかった。

10月別の場所に行く前日
嫌すぎて泣いた。退職も考えて求人サイトを見て回ったが取り越し苦労だった。。。

めっちゃ働きやすい👩🏻‍🍳👩🏻‍🍳👩🏻‍🍳👩🏻‍🍳👩🏻‍🍳👩🏻‍🍳💕💕🧚🏼‍♂️🧚🏼‍♂️🧚🏼‍♂️🧚🏼‍♂️
たぶん責任がない仕事だからだとおもう。
それに教えてくれた人がマジで神だった。
仕事もあっていて、発作は一ヶ月に10日いくらになっていた。


それでも発作の理由はわからない。

職場でも周りが心配するくらいの状況にはなった。
救急車も呼ばれそうになったがそれは阻止した笑

発作は起きても仕事の幸せな日々は永遠とはつづきませんでした。
元々、10月から12月までの部署だったのですが前の部署が忙しいことから12月下旬で戻ってくるようお達しがありました。

戻った瞬間

発作がぶり返した。
一日に何回も起きる。
仕事にならない日が続く。


年が明けさらに発作が激しくなる。

・胸が苦しい
・体のけいれんが止まらない
・息ができない
・硬直する
・自由に体を動かせなくなる
・発狂する

今、考えるとこんな状態でよく会社に行ってたと思う。
会社に行く前に電車でなり、会社でなり、早退を繰り返していた。


会社側も産業医を紹介してくれた。
紹介された病院で

「ここで治らなければどこに行っても治せない」

と力強い言葉を貰ったが嘘だった。

両親と病院に行った時比較的大きな発作が起きて自分ではどうしようも出来ないほどになり話せなくなった。
医院長先生からは

「うちでは面倒みきれないから元の病院に戻す」と言われた。
その間廊下で寝転がるわて。。。。

話ができない状態だったので「嫌だ」と言う事も言えず紹介状だけ貰って帰った。

発作が収まり、母親の知人経由でまた違う病院に行くことになった。

それが今の病院。
ここの病院でもなぜ発作が分かるかわからなかったが詳しい先生がいるという事で紹介された病院に行った。

そこでやっと
心因性てんかん発作」パニック障害という病名がついた。

その病名が分かったことに初めて泣いた。

 

病名がわかるちょっと前の3月上旬会社から来なくていいと言われ、突然の休職に入った。
そりゃそうりゃ!
出社して具合悪くなるやついらないやろ笑
あと、上司から辞めるか辞めないか決めて欲しいとパワハラめいたことも言われた。


別件でADHDの検査を行いに都内の病院を訪れた。
結果はグレーゾーン
自分に自信がない部分が極端に下がっていた。
結果をみてもさほど驚かないがやはりショックが大きい。


話を戻して、心因性てんかん発作の治療は本人は無自覚な場合が多いので病院でカウンセラーや先生が私が気づいてない部分にフューチャーして治療を行うらしいのだが全くもって行われない。

私は痺れをきらし、別病院でもらったADHDの結果を提出してやっとカウンセリングを受けられることになった。

発症が2020年5月、今現在も発作は続いている。
それも厄介なのが乖離性発作(ほぼこれ)
登録販売者の勉強をしてると10分ほどすると発作が起きて収まるのに40分ほどかかる。
カウンセラーさん、先生から勉強のストップがかかった。

前にも進めない。
進まなくていい時だけどなにかしていたい。
とても虚無感に苛まれている1週間だ。

そして、今月2021年9月会社を退職する。